障害者はじめました

元の自分には戻れない。だけど新しい自分にはなれる!

ケ・セラ・セラ

お久しぶりです。

 

 

記事を書いても最後まで書けずに半端な下書きが増えていったこっさんです。

 

 

今回のテーマは好きな言葉でもある。「ケセラセラ」です。

 

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ケセラセラとは

同年のヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイが歌った。

Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされることもあるが、実際はスペイン語の文としては非文法的であり、スペインで用いられた歴史もない[1]。そのため専ら英語圏のみで(一種の擬似外国語として)使われたフレーズであると考えられている。別題として、「Whatever Will Be, Will Be」、「Whatever Will Be」(映画タイトルバック)、あるいは副題を併記した「Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)」(現在もっぱら正式な題とされる[2][3])、「Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera)」(アカデミー歌曲賞受賞時)も使われる。 2004年にはアメリカ映画主題歌ベスト100に選出された。

日本でも歌詞を日本語訳され、雪村いづみペギー葉山らの競作によってヒットした。

では、歌の歌詞を見ていきましょう。

When I was just a little girl
I asked my mother
What will I be
Will I be pretty
Will I be rich
Here's what she said to me

私がまだ少女だった頃
母に尋ねた事がある
私は何になるのかを
可愛くなれるか
お金持ちになれるかと
すると母はこう言った

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ケ・セラ・セラ
なるようになる
先のことを心配しなくても
ケ・セラ・セラ
なるようになるものよ

When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows
Day after day
Here's what my sweetheart said

大人になって恋に落ちた時
恋人に尋ねたことがある
この先に何があるのか
虹の彼方へたどり着けるのかと
毎日繰り返したあとで
彼はこう言った

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ケ・セラ・セラ
なるようになる
先のことを心配しなくても
ケ・セラ・セラ
なるようになるものさ

Now I have Children of my own
They ask their mother
What will I be
Will I be handsome
Will I be rich
I tell them tenderly

今、母になった私に
子どもたちは尋ねる
自分はどうなるのかと
ハンサムになれるのか
お金持ちになれるのかと
そして私は優しく答える

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que Sera, Sera

ケ・セラ・セラ
なるようになる
先のことを心配しなくても
ケ・セラ・セラ
なるようになるものよ

 

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まぁ、今までもなんとかなってきたので、そんな軽い気持ちで生きていきたいです。

 

 

皆さんも程よくいきましょ。ケセラセラ

 

 

では、また。